ジョゼ・モウリーニョ

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 参考になる動画がないので、完全な手探りが状態が続き、気がつけば製作開始から半年近くも経っていました・・・。
 ある意味力作・・・?

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★プロフィール
名前:ジョゼ・マリオ・サントス・モウリーニョ・フェリックス(Jose Mario Santos MOURINHO Felix)
ニックネーム:()
国籍:ポルトガル
クラブ:チェルシーFC(イングランド)
年齢:44歳(1963年1月26日)
身長:?cm
体重:?kg
出身地:ポルトガルのセトゥバル

★勝手に評価
  戦術指導■■■
  体調管理■■■■■★★
メンタルケア■■■■■
  練習効率■■■■■★★★★

★主な所属クラブと成績
92-93 ◆スポルティング・リスボン通訳◆
94-95 ◆FCポルト通訳◆
96-97 ◆FCバルセロナ 通訳◆
 ↓ここから監督
00-01 ◆ベンフィカ : 試合得点◆
01-02 ◆ウニオン・レイリア : 試合得点◆
02-04 ◆FCポルト : 試合得点◆
スーペル・リーガ優勝:02-2003、03-04
ポルトガルカップ優勝:02-03
UEFAカップ優勝:02-03
UEFAチャンピオンズリーグ優勝:03-04
04— ◆チェルシーでの経歴 : 試合得点◆
リーグ優勝:04-05、05-06
FAカップ優勝:(06-07
リーグカップ優勝;04-05、06-07
コミュニティーシールド優勝;2005
 ◆代表での経歴   キャップ得点◆
 ◆個人タイトル等◆
「L’Equipe」「Gizzetta dello Sport」「World Soccer」紙の年間最優秀監督:2004
uefa.com年間最優秀監督:2004、2005、2006
プレミアシップ年間優秀監督:2005
「A Bola」紙主催ヴィトル・サントス賞:2005
IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)最優秀監督:2005、2006
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彼の本を読んで感動したんで作ってみました。

現代フットボールの監督業において最も結果を出している監督のひとり。

モウリーニョは超実践的トレーニングしか好まなく、短時間で集中してトレーニングすることに最重要点を置いている。
おそらく選手のメンタル・体調面には世界一気を使っていると思われる。

普通の監督は、「チームの戦術に応じてこちらの戦術も変える」
だと思いますが、モウリーニョ流の基本の考え方は、他の監督とは少々違う。
「基本フォーメーションは2つ。相手に応じてこの2つの戦術を使うだけ。一番重要なことは、自分達のフットボールをコンスタントに実行すること」である。
(そんな簡単なものではないけど、)“いかに自分達のサッカーをするか”が大切だと考えているようだ。
そのためには、シーズンを通して選手の体調やメンタル面を常に良い状態にすることが大切だとしている。

そしてルイ・ファリアなしにも語れないことを覚えていただきたいです。
彼独りでここまでやってるわけじゃない。

【モウリーニョトリビア】
・フェリックス・モウリーニョは元ポルトガル代表のゴールキーパー。
・少年時代は父親にチームのスパイとして使われ、試合相手のチームの弱点などを探ってくる役目を与えられていた。
・ポルトガルのユース代表に選出されたこともある。

【ここから経歴です。(長いかも)】
通訳業の経験から、五言語(ポルトガル語、カスティーリャ語、カタルーニャ語、英語、フランス語)を操る。そのため言語上のコミュニケーションをとれない選手はほとんどいない。

リスボンで一度体育教師になるが、指導者の道を志してスコットランドで語学を勉強。
ボビー・ロブソンがスポルティング・リスボンの監督に就任した際に通訳としてスタッフ入りし、以降厚い信頼を受けてロブソンとともにFCポルト、バルセロナの名門クラブで通訳を務める。
ロブソンがバルセロナを去った後、監督に就いたルイス・ファン・ハールのアシスタントコーチも経験。

そして、00-01シーズンにポルトガルの古豪ベンフィカの監督に就く。
不調だったチームを建て直し、ライバルのスポルティングを3-0で破るなど順調なスタートを切った。
しかし、会長交代劇などの内紛によりそのスポルティング戦までの8試合の指揮を執った後、自らリスボンを離れる。

01-02シーズン、リーグ中位のウニオン・レイリアの監督に就任。
チームを19試合9勝7分3敗・リーグ4位の好成績に導く。

シーズン途中の2002年1月、当時不調にあえいでいた名門FCポルトに引き抜かれる。
彼は残りの試合を15戦11勝2分2敗で乗り切り、低迷していた名門の順位を最終的に3位にまで上昇させた。
ポルト監督就任時、彼は不遜にも「(中位に甘んじる)このチームを来年チャンピオンにしてみせる」と宣言し、メディアの失笑を買ったが、彼はそれ以上の偉業を翌年以降成し遂げることとなる。

02-03シーズン、モウリーニョに率いられたポルトは快進撃を続け、スーペル・リーガ、ポルトガルカップのタイトルを獲得。
さらにUEFAカップ決勝でもグラスゴー・セルティックを延長の末に下し、3冠を達成。
指導者として国際的に注目され始める。

さらに03-04シーズン、圧倒的な強さでリーグ二連覇を成し遂げる。
また、UEFAチャンピオンズリーグでも、決勝でASモナコを3-0で下し制覇。
ポルトを17年ぶりのヨーロッパチャンピオンに導き、より一層評価を上げた。

04-05シーズンからはチェルシーで指揮を執っている。
ここでも就任一年目から創立百周年の記念の年を迎えたチェルシーに50年ぶりのプレミアリーグ制覇をもたらし、リーグカップとともに2冠を達成。
名将としての評価を不動のものとした。

05-06シーズンも独走でプレミアリーグ連覇を成し遂げるが、優勝決定後のセレモニーで優勝メダルを惜しげもなく観客席に投げ入れるなど、ここでも物議(とはいえファンは大喜び)を醸している。



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